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『マダム』()は、かつて存在した日本の雑誌である〔''マダム''、国立国会図書館、2012年6月27日閲覧。〕〔''マダム''、国立情報学研究所、2012年6月27日閲覧。〕。東京都新宿区の出版社鎌倉書房が編集出版した〔〔。1964年(昭和39年)6月創刊、1994年(平成6年)12月休刊〔〔。いわゆる「戦後四大婦人雑誌」に比して、もっとも後発であった〔女性雑誌『VERY』にみる幸福な専業主婦像 、石崎裕子、国立女性教育会館、2012年6月27日閲覧。〕。 == 略歴・概要 == 長谷川映太郎が1941年(昭和16年)に創立した「株式会社鎌倉書房」が、1964年(昭和39年)6月に創刊した婦人雑誌である〔〔。「戦前の四大婦人雑誌」とされた『主婦の友』『婦人公論』『婦人画報』『婦人倶楽部』、「戦後の四大婦人雑誌」として第二次世界大戦後に創刊された『主婦と生活』『婦人生活』に比して、20年近く後発であった〔〔戦前期四大婦人雑誌目次集成 全36巻 、ゆまに書房、2012年6月27日閲覧。〕。 1968年(昭和43年)秋、姉妹誌として季刊『別冊マダム』が創刊される〔別冊マダム 、国立情報学研究所、2012年6月27日閲覧。〕。 1975年(昭和50年)1月号から12月号まで、年間を通して伊藤緋紗子が表紙モデルを務めた。 1981年(昭和56年)夏、『別冊マダム』真夏号(通巻第56号)を最終号となるが、『別冊ドレスメーキング』と合併して同誌を継続、新たに『ドレスメーキング・マダムのスタイルブック』を創刊する〔。したがって『ドレスメーキング・マダムのスタイルブック』秋冬号は、通巻第57号とされた〔ドレスメーキング・マダムのスタイルブック 、国立国会図書館、2012年6月27日閲覧。〕。 1994年(平成6年)12月、第382号が発売されたが、その後、版元の鎌倉書房が破産したため、同号が最終号となった〔〔。1995年(平成7年)1月23日、長谷川映太郎が満83歳で死去、鎌倉書房は解散となった〔合祀者名簿 、日本出版クラブ、2012年6月27日閲覧。〕。同社の雑誌で営業権を他社が引き継いだのは『ジュニー』(扶桑社が継承)のみで、『マダム』を含めてすべてが休刊となった。『ドレスメーキング・マダムのスタイルブック』は前年1994年9月の通巻第136号が最終号になった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マダム (雑誌)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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